ジョン・D・ロックフェラーの帳簿 資産額
今回は前回の続きでジョン・D・ロックフェラーの帳簿を覗いてみたいと思います。
貨幣価値はこちらのサイトを参考にしていただければと思います。
とても便利なサイトでアメリカの歴史ものを読むときは欠かせないものとなっています。
まず16歳 商業高校を卒業し3か月間毎日就職活動をしようやく経理として就職できます。(街のでかい企業を手当たり次第に飛び込みで押しかけ自分を売り込みに行っていたそうです。。。) そして月収16.6ドルとなります。のちに25ドルとなります。
先ほどの貨幣価値の計算の妥当性はともかく半分は下宿費と洗濯代に消えてしまったようです。
驚くべきことにその2年後18歳で家を買っています。しかも入社後2年で給料が年500ドルを超えます。この当時月4ドルで家が借りれましたのでかなりの高給取りです。
そして翌年19歳で給料が年600ドルを超え副業で小麦やハム、豚の売買仲介をするようになります。この時には自分の商才を確信していたのか給料を800ドルに増額するよう雇主に求めますが断られ起業します。
資本金は貯金の800ドル(4年で年収1年分以上!)と父親から年利10%で借りた1000ドルから捻出し友人と2人で2000ドルでの起業です。
1年目にしてこの会社で純利益を4400ドル稼ぎ出します。(+o+)
その後会社も順調に成長し共同創業者を追い出し番地を4つも跨ぐオフィスを持てるようになります。
そして24歳で鉄道株を保有など副業を行っていくなかでとうとう石油精製事業を4000ドルで開始します。この時代原油の採掘に人々が群がる中それを精製する事業に目を付けたことが転換点となります。
26歳には世界でも有数の石油精製所のオーナーとなってしまいます。
その後、保険会社や銀行の重役を歴任し4万ドルで新居を購入します。ちなみに100年後にウォーレン・バフェットが購入した家が3万1500ドルであることを考えるとかなりの高額です。
そして31歳で有名なスタンダードオイルを設立します。資本金は大台を突破し100万ドルそのうち本人の持ち分は26%です。あまり知られてないですが、スタンダードオイルは石油精製業者の連合体のようなものであったそうです。この頃から同僚から株を買い集めており本人自身も当時私はゴミ箱のようであったと後に語っています。
その後も他社の買収を繰り返し翌年には資本金が350万ドルに跳ね上がります。
38歳になると石油精製の90%を有するようになります。
53歳になった時にはスタンダードオイルの株式の25%を占めるようになります。
自社や自分の事業に確信を持ち買い集めていくあたりはウォーレン・バフェットにも共通するような特徴ですね。
こちらはウォーレン・バフェットについてまとめてみた記事です。
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