19世紀パリの生活
今回は鹿島茂の馬車が買いたい!について語ってみたいと思います。
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タイトルの由来は当時の若者のパリを目指し馬車を乗り回す夢を表しています。
この本はまず冒頭でフランスの田舎青年がパリを目指し上京する様を追っています。まず馬車で何日もかけ早朝にジャン・ジャック・ルソー街に辿り着きます。現在の郵便電信局だそうです。現代の日本でいうと夜行バスで新宿に着いて早朝手持無沙汰になるような感じですね(#^.^#)
フランスではバゲット1本250gとし価格も法律で定められているためこの本ではパンの価格から物価を算出しています。
1990年パン250g(一食分)が3.1~3.3フランでありこれから算出するとだいたい33倍すれば同じ価格となるようです。1フランは1000円となる計算だそうです。
因みに1840年当時の労働者の平均時給は4スー、パン1キロ8スーですのでパン一キロの値段が時給を超えていたようです。ジャン・バルジャンの収入は一日に24スーですので到底9人分の生活は維持できないわけですね。
当時の労働者の年収は自営商店主3830フラン、下請けの仕立て屋3271フラン、下級官吏1200フラン、肉体労働者830フラン、屑屋651フランのようです。
バルザックの小説ゴリオ爺さんに出てくるラスニャックは田舎から出てきた貧乏学生ですがやはり下級貴族だけあって実家は3000フランの地代を稼いでおり仕送りは1200フランです。
次は生活費の内訳を見てみたいと思います。
赤と黒のジュリアン・ソレルは年2000フラン(食事付きの住み込み)
ゴリオ爺さんのラスニャックは年1200 フラン
レ・ミゼラブルのマリウスは年650フランです。マリウスだけ飛びぬけていますね。
いかに貧乏生活を送っていたかが分かりますね。
この生活費の中で一番多くを占めるのが食費365フラン次点が衣類で150フランです。
この食費に関してもかなり節約をしています。肉を買い煮込み三日間掛けて食べる場面が出てきます。当時としてはよほど貧しい家でも女中が買い物をしていた事に思い当れない現代の私はただただ貧しい食事をしていたぐらいに捉えていました。
また既製品の無い当時では全部オーダーメイドの服を買っていたため支出の多くを占めていたようです。そんな大切な服ですが、家の中で上下水道が自由に使えない当時では外部で委託するしかありません。これも年50フランかかってしまいます。
こんな生活の中で英語とドイツ語を1,2か月で覚え副業としていたハングリー精神を見せています。
ちなみに当時の平均年収を500フランを基準としてその30倍はないと余裕のある暮らしができなかったと21世紀の資本には書いてありました。
地代にもよりますが男爵の地位の最低年収は500フランの地代とされていたようです。
現代で配当や不労所得で年500万円稼いでいる人は男爵みたいなものですね。
今回出てきた小説は下に載せておきます。
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